発達障害児を育てる私もグレーかも。日々の思いを綴る日記

散々周りの友人から「普通だよ大丈夫!」と言われた我が子が発達障害児でした。ASDとADHD知的障害のある6歳の息子の過去と現在。生活の苦悩を綴っています。そして、グレーかもしれない私の毒親育ちの振り返り日記も綴っています。母を許せなくても母とは仲良くしている現状。

モヤモヤ

母にとって私は

娘の部類に入らないようだ。

 

 

私が何かしても

よ程のことがないかぎり

お礼は言わない。

 

 

自分の気分が悪ければ

たとえ、かわいい孫が電話を

かけたとしても電話の折り返し

はしない。

 

 

所詮はそういう人なのだ。

 

気にしないようにしたいけど

何か言ってやりたい気持ちになる。

 

打ちのめしてやりたい気持ちになって

しまう。

 

 

スルー力をつけたい。

 

もちろん、今のところなにも

伝えてないで形だけは

スルーしてるつもり

 

スルーする_

🎶

 

 

所詮は他人。

 

所詮は他人。

 

 

 

子供のトラウマ

子供が園活動中に

顔と唇歯茎にけがをしてきた。

 

話を聞いたら

遊具で遊んでいるおともだちの

とろへ突っ込んでいったそうだ。

 

素早くて大人が止めきれなかったのだろう。

 

 

一日目は帰宅後ショックで何度か泣いていた。

 

二日目の朝は割りと元気で

「もう治った❗」と

言っていたのだけれど

 

園で思い出してしまい

泣いてしまったりしたそうだ。

 

その後帰宅してしばらくは

元気だったのだけど、 

お風呂にはいる直前に

吐き気が何度もあり(吐かないが嗚咽する感じ)

 

お風呂は断念して

体をアロマオイル入り(鎮静作用のあるラベンダー)お湯で絞った赤ちゃんの

良く使うガーゼで拭いてあげた。

 

 

ASDのお薬にも助けてもらい

うとうとしだしたので

ベッドへ寝かせると

吐き気がまた襲ってくる様子。。。

 

 

しばらく背中をさすり

大丈夫だよと声をかけて

そのうちに眠ってくれた。

 

 

 

 

精神的なストレスによる吐き気は

私も子供の頃悩まされたので

辛さが良くわかる。

 

 

このトラウマしばらく

残りそうだな(>_<)。

 

 

 

つぶやき

なぜ?

 

あの時

私は無理やり家から押し出されたの??

 

 

母はやはり

鬼の形相で

私を睨み

 

玄関の外へと追い出した。

 

 

 

私は転校先でうまくいかず

毎日吐き気と闘っていた。

 

 

吐き気を催ながら

仕方なくトボトボと

通学路へと向かう。

 

 

毎日地獄だった。

 

祖母はそんな母に反論せず

見て見ぬふりだった。

 

母の私に対する行動に

注意する人はいなかった。

 

これだけは家族の大人を

恨んだ。

 

 

 

毎日の吐き気

朝晩必ず起こる。

 

吐き気を訴えても

母は

「ただの神経だ」

と口癖のように言うだけ。

 

私のことを心配することは

一度足りとなかった。

 

虫けらを見るような目で

私を見ていた。

 

 

そして、怒るのだ。

 

「気持ちが悪いって毎日毎日いいかげんにしなさいよ」

と。

 

 

あんたを許すことは一生ないよ。

 

 

でも、私はそれでも

母を助け、母を気遣う。

 

なぜなんだろうと

たまに思う。

 

 

 

いつか、あの世で大いに

これでもかというぐらい

悔いて反省してくれ。

 

 

現世で母が私に対して

反省することなんて

ないだろうから。

 

 

 

母と私の生きてきた日々

私の一番最初の記憶は

かなり古い。

 

まだ赤ん坊の頃の

うすーい記憶。

 

親戚の家の近所に

九官鳥がいてそれを

抱っこされて見に行ったのが

 

人生で一番古い記憶。

次に、まだお座りが

出来る時期、

祖父の経営するフランス料理店の

レジ横の簡単なバックヤードで

私はいた。

 

扉を開ければすぐに店に出れるぐらい

だが、私はまだハイハイが出来ず

出られなかったのだろう。

 

私の周りにおもちゃがたくさん

置かれて囲われている中に

一人遊んでいた記憶。

 

母は祖父の店の手伝いをしていた。

ウエイターとして

お客に料理を運んでいたのだ。

 

祖母はウェイター兼レジ。

時々レジを打ちにくる。

 

その時私は構ってほしくて

祖母に言葉にならない声を

あげてみたり、手で祖母のズボンや

エプロンの裾を小さな力ない手で

ぎゅっと握っていた。

 

でも、忙しくて相手にされない。

 

母も同じくそうだった。

 

 

それでも私は幸せだった気がしてる。

 

その頃の私は今のような深い闇の

傷など感じることもない。

 

無であり幸せな時を

過ごしていたに違いない。

 

辛い記憶や色合いは

感じれないからだ。

 

 

 

私は未だにそうなのだが、

感受性が高い。

 

感受性が高い人は

赤ん坊の記憶があったりすると

聞いたことがある。

 

発達障害児もそうだと聞く。

うちの子も胎内記憶があるから

かなり信憑性は高い気がしてる。

 

 

感受性が高い人は敏感である。

私は様々なことに敏感で

敏感ゆえにそこに触れれないことも

多く、ついついスルーしてしまう。「冷たい」と人に誤解されることもあった。

 

 

冷たいといわれればそうなのかも

しれないが、私からすると

 

怖くて怖くて仕方なかったのだ。

それを顔で表すこともなければ

態度でも表すこともない。

 

ポーカーフェスなのだ。

 

だから端から見たら

冷たい人と見えてしかたのなかった

のかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

そんな赤ん坊の頃の記憶を経て

 

3歳、4歳の記憶になる。

 

この頃から

私の家は崩れ始めた。

その記憶が鮮明で、

思い出すだけで苦しく、

幼い子供には厳しい環境

だったことが分かる。

 

 

 

 

つづく

 

 

 

 

 

【序】私のこと。『理の歪み』~毒親の元育った人生~

お久しぶりです。

突然ですが、今日から

自分の根底にある深い

傷を治すため

膿を出すことにしました。

 

子供のこととは別のお話に

なりますので、興味のある方は

お読みいただければと思います。

暗い内容となることが多いので

苦手な方はスルーしてください。

 

 

 

 

 

 

 

 

私はたぶん。

母からあまり愛情をかけてもらえず

育った。

 

それに気づいたのは小学校

5年生の時。

 

この頃、母は私に対して

鬼の形相で睨むが多かった。

 

母がなぜそこまで私を

存外に扱ったのか

なぜ?そんなにも妹と

扱いが違ったのか

 

その時は分からなかった。

それを分かるようになったのは

ほんの数年前。

 

 

 

その私がなぜ、子供に愛情を

注ぐことが出来ているのか?

 

それは祖父母が愛情を

かけて育ててくれたからだ。

 

 

 

しかし、肝心なことは誰も

教えてくれず、

 

助けてもくれなかった。

 

そう考えると祖父母のそれは

愛情だったのかなんなのか?

と思うこともあるが、

 

そこはきっと愛情だったのだろう。

 

そう思うようにしている。

 

 

 

私の母は

毒親です。

 

 

 

 

そんな環境で育った私が

なんとか生きてこれた日々。

 

今が幸せと感じれる毎日を

送れるようになったことを

綴ります。

 

 

 

 

 

 

迷う

久しぶりに視野が狭くなる症状が
出てしまい(それほど酷くないけどちょっと怖い)

お迎えを旦那にお願いするかどうかを
迷います。

だって見えなくないから。

仕事を切り上げて来てもらう程なのか
とも思うし。


それに、息子とお迎えにいく約束を
してあったから、それを破ることに
なってしまう。

そうなるとせっかく通所できたのに
また、嫌になってしまうのではないかと
いう不安もある。

それだけでなくて、私が、いけないことで
癇癪につながってしまうかもしれない。


悪い方にばかり考えるけど

想定しておかないとって
思います。
色んなパターンを

なので

迷う。


持病の症状が出てしまうとき
事前に息子に伝えてないとき、
一番迷います。

行き渋り

行き渋りをする息子

またはじまった。
7ヶ月前から続く行き渋り。

それに付き合うのが疲れました。
どんな声かけにも呼び掛けにも
応じてくれないことがあり

今日はそんな日

今週も頑張ったらごほうびあるよ🎶
も通じず、

癇癪を起こす。



もう疲れた。


旦那は休みの日は廃人のように
だらだらしているし

時間を伝えていつ家を出るか
どこへいくのか伝えれば
動いてはくれるけど
細かなことを分かりやすく言わないと
伝わらない。

なんでわからないのか?
と聞くとわかりやすく言わない
私が悪いのだとか。



疲れる。

自分が正しくて
自分が一番辛いらしい。



色々と旦那は
前に向いて考えてくれない。


子供の体も大きくなってきて
行動範囲もどんどん広がり
どんどん遊びもダイナミックに
なってきいるから

もう少し広く家賃の安いか
同じぐらいの借家に引っ越しをしようと提案しても

変わることを嫌い。
面倒だといい。
お金が勿体ないという。


なら、あなたの集めている
グッズやフィギュアはもったいなく
ないのだろうか?

言いたくないよ本当は
そんなこと。

だけど、あまりにも
家族との未来を考えなさ過ぎて
私はもう疲れはてた。


息子のことも
考えていない。

私ばかりが考え 対応し

なぜ?

なぜ?

なぜ?

の連続だ。


こうして書き出してみると
息子の行き渋りも大変だけど

どちらかというと、旦那への
ストレスがあるから余計に
息子の行き渋りが辛いのかも
しれない。
そう思った。


旦那とのことに未来が見えない。

この人と一緒にいる理由は
なんなのか
わからなくなってきた。